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明日を支配するものP.F. ドラッカー

パラレル・キャリアという概念は、P.F. ドラッカー Peter F. Druckerが、「明日を支配するもの―21世紀のマネジメント革命」の中で提示した概念です。第6章 5 中年の危機 の該当部分を引用してみましょう。(パラレル・キャリアは、最後の方にあります。)

中年の危機

既に述べたように、歴史上初めて、人間の方が組織よりも長命になった。そこで全く新しい問題が生まれた。第二の人生をどうするかである。

もはや、30歳で就職した組織が、60歳になっても存続しているとは言い切れない。その上、ほとんどの人間にとって、同じ種類の仕事を続けるには、40年、50年は長すぎる。飽きてくる、面白くなくなる。惰性になる。耐えられなくなる。周りの者も迷惑する。

ごくわずかの偉大な芸術家は例外である。

印象派の巨匠クロード・モネ(1940-1924)は80代で名作を遺した。目が悪くなって、なお一日に12時間描いた。パブロ・ピカソ(1881-1973)は90代で亡くなるまで描いた。70代で新しい画風を開いた。

今世紀最高のチェロ奏者パブロ・カザルス(1876-1973)は演奏会のための新曲に取り組んでいた時亡くなった。だが、彼らは例外中の例外である。

同じ超一流の物理学者でも、40代に偉業をなしたマックス・プランク(1858-1947)とアルバート・アインシュタイン(1879-1955)が対照的だった。プランクは1918年、60歳の時に第一次大戦後のドイツ科学界を再建した。1933年にナチによって強制的に引退させられたが、1945年、90歳近くになって、再びドイツ科学界の再建に取り組んだ。アインシュタインの方は、40代には引退したも同然となり、単なる有名人となった。

今日、中年の危機がよく話題になる。45歳ともなれば、全盛期に達したことを知る。同じ種類のことを20年も続けていれば、仕事はお手のものである。学ぶべきことは残っていない。仕事に心躍ることはほとんどない。製鉄所や機関車の機関室で働く肉体労働者は、40年も働けば、平均寿命どころか定年もまだ先だと言うのに、肉体的精神的に疲れはてる。もう十分である。平均寿命が75歳になったために、余生は長い。後の10年、15年は何もしないで満足である。ゴルフ、釣り、もろもろの小さな趣味で十分である。

ところが、知識労働者は何歳になっても終わることがない。文句は言っても、いつまでも働きたい。とはいえ、30歳の時には心躍る仕事だったものも、50歳ともなれば退屈する。だが、あと20年とはいかないまでも、10年、15年は働きたい。したがって、第二の人生を設計することが必要となる。

この問題についての必読の書は、自ら第二の人生に成功した企業人ボブ・ファフォードの著作、『ハーブ・タイム』(1994)、『ゲーム・プラン』(1997)である。

第二の人生を始める方法

第二の人生の問題は、三つの方法によって解決できる。

第1の方法は、マックス・プランクのように、文字通り第二の人生を持つことである。単に組織を変わることであっても良い。

その典型が、子供も大きくなり、年金の受給権も確定した45歳から48歳に、会社を辞めて、病院や大学などの非営利組織に移る人たちである。仕事の内容は、あまり変わらない。大企業の事業部の経理責任者が病院の経理部長になっていく。

もちろん、まったく職業を変えてしまう人たちもいる。

すでにアメリカではプロテスタントの新学校の学生は、25歳前後よりも45歳前後の方が多い。企業、官庁、あるいは医師として成功し、子供が大きくなったのを機に、聖職に入ろうとしている人たちである。

企業や地方自治体で20年ほど働き、45歳で中堅幹部となっていながら、子供が大きくなったのを機に、ロー・スクールに入る人もいる。3、4年もすれば、地元で小さな法律事務所を開業している。

こうして仕事がうまく行っているにもかかわらず、第二の人生を始める人が増えている。地元の病院の経理部長になり事業部の経理責任者のように、能力は十分にある。仕事の仕方も心得ている。子供は独立していった。地元のコミュニティで仕事をしたい。もちろん何がしかの収入も欲しい。しかし何よりも、新しいことに挑戦したい。

第二の方法は、パラレル・キャリア(第二の仕事)、すなわちもう一つの世界をもう一つ持つことである。20年、25年続け、うまく行っている仕事はそのまま続ける。週に40時間、50時間を割く。あるいはあえてパートタイムとなったり、コンサルタント的な契約社員となる。しかしもう一つの正解をパラレル・キャリアとしてもつ。多くの場合、非営利組織で働く。週10時間と言ったところである。

例えば、教会の運営を引き受ける。地元のガール・スカウトの会長を引き受ける。夫の暴力から逃れてきた女性のための保護施設を助ける。地元の図書館で、パートの司書として子供たちを担当する。同じく・地元で教育委員会の委員になる。

第三の方法は、ソーシャル・アントレプルナー(篤志家)になることである。企業人、医師、コンサルタント、教授として成功した人たちの例である。仕事は好きだが、もはや心躍るものではない、そこで仕事は続けるが、それに割く時間はへらして。そして新しい仕事、特に非営利の仕事を始める。

以上がドラッカーの書からの引用でした。

このようにパラレル・キャリアなどで第二の人生を持つには、本格的に始めるはるか以前から準備を重ねておかなければなりません。

ある文房具メーカーで様々な新製品を作った人がいましたが、その人は定年後の趣味としてバラの栽培を選び、40歳代から準備を始めていました。「定年の2~3年前に慌てて初めても、なかなか難しい。」と言っていました。